それは、ただ「平和」なのとは、ちがう
波風は、ある。
それは、当然のこと。
そして、避けられないこと。
価値観のちがい、信念のちがい、方向性のちがい。
あらゆる「ちがい」は、衝突しあい、時に争いとなる。
それらを等し並みに平らにし同和させることが、良いことなのか。
削り取られたところにこそ、個々の光るものがあるものではないか。
ちがいは、当然、あるもので。
むしろ、ちがいがあるからこそ、世界は美しい。
作品のテーマを一つの言葉に集約しよう、となった時。
「世界平和」は、絶対にちがう…と、強く感じた。
争いは、きらいだ。
でも、あまりにも波風がないのも、おもしろみがない。
世界を平らにすべてが和合したら。
きっと、わたしにとってそこは、きらめきが減り精彩を欠いた世界になるだろう。
戦争はなくなってほしい。
大きかろうが小さかろうが、犠牲になる人なんていないほうがいい。
個々のちがいは互いに許容しあい、尊重しあう。
そうすれば、ちがいがあるからこそ世界は円満になる…ということは、実現できる。
そんなふうに思う時。
西洋的な感覚の「世界平和」ではなくて。
東洋的…というか、日本的な感覚の「天下泰平」こそが、わたしが作品のテーマとして旗に描く文字だと思った。
「いのち」を、描く
人の…という意味ではない。
人というものは、森羅万象を構成する要素の一つであり、君主でもなんでもない。
物質としてあるものも、そうでないものも。
森羅万象を構成するものすべての「いのち」が、美しい。
神仏や龍、天使、神獣といったもののカタチを借りることで、森羅万象のいのちを描く。
それが、神龍画家、川口緋呂が作ってきて、これからも生きていく一本の道だ。